「だって鉄さん、祝賀会の日は殆ど話せなかったし…」
軽やかな包丁の音が、一人暮らしの筈の家の中に響き続けている。
勝手知ったりとばかりに上がりこんだ弓親は、台所を拝借して料理を作り始めていた。
持ってきた食材は小豆に筍、それに鯛、と、祝い事に使われるものばかりで、
其れが自分の副隊長昇進を祝ってくれてのものだと気付くのは容易かった。
「だからと言うて、休みの日に女子が一人で男の家に来るっちゅうんは感心せんぞ?」
「…こんな日くらいそんなこと言わないでよ。いいでしょ?二人でお祝いしたかったんだから」
居間から振り返れば視界に入る後姿。
タスキで纏められた袖口から覗く白い腕は、普段刀を振るうとは想像できない程、細く、しなやかで。
口に出すと怒られそうだから言わないが、正直、そうやって家事をする姿の方がしっくり来たのは事実だ。
尤も、目の前の少女がそんな風に家に収まりたくないから死神になったのは、百も承知だ。
親兄弟を失った幼い弓親を霊央院で見たときから、既に其の意志の強さは現れていたと思う。
しなやかで、美しくて、凛と咲く百合のような、しかし棘を持つ大輪の薔薇のような。
触れるもの皆傷つける棘を持ちながら、それでいて大事に育てられないと花を咲かせぬ我侭花。
飽きずに弓親の兄分として世話を焼く自分を、いつしか弓親の相棒までが呆れていた。
「そういえば鉄さん、おばさまにはちゃんと話した?」
「文は送っとるけぇ」
「…ちゃんと顔見て報告してないでしょ」
不意に母親の話題になり、背中を向けたままぶっきらぼうに答えた。
面白い話だが、この後輩と自分の母親は、不思議なほど気が合って仲が良かった。
ガサツで大雑把な母親と神経質で細やかな弓親の何が合うのかと思うのだが、
そこは女同士にしか分かり合えない話があるらしい。
実際、家に帰るときに弓親を連れて行くと、自分の実家なのに母親が自分より弓親に構うのだ。
二人で肩を並べて料理したり他愛も無い話をしたり。これで親父が生きていれば
何ぞ話でもして時間を潰したのだろうが、生憎一人にされてしまい、どうにも落ち着かない。
忙しいのも確かだが、年老いた母親に気を使わせては悪いと思い、ここ最近は実家に帰っていない。
ただ、自分としては小まめに文を出しているし、死神になってから仕送りを途切れさせた事は無い。
…勿論、それを知られると何かと言われるので、他の連中には解らぬ様にこっそりと、だが。
「おばさまがねー、”金になって帰ってくるな、顔見せろ”ってさ」
思わず、飲んでいた茶を噴出しかけた。
咽ながら振り返れば、料理の手を止めた弓親と目が合った。
じろ、と僅かに睨むような視線を手でいなし、解った解ったと呆れたような声を返した。
「ちゅうかの、弓、いつ行った?」
「昨日。おばさまがね、牡丹餅食べにおいでって」
「…それでか。包みの中に牡丹餅があったんは」
「あとねー、早く嫁連れて帰って来いだってさ」
肩を落としてもう一度茶に口をつけた其の時、今度は本当に卓袱台に向かって茶を噴出した。
盛大に咽つつ、手近にあった布巾でざっと卓を拭き、僅かになった茶を一気に喉に流し込んで。
何吹き込んでるのかと頭を悩ませていたとき、台所から、がり、と削れるような音と、あ、と小さな声が聞こえた。
料理上あまり宜しくない音に、思わず立ち上がり、湯飲みを持って台所に向かった。
「何じゃあ、魚の捌きはちぃとも上達せんの、おんしは」
「…切るのは上手くなったんだよ?」
「鱗取りが出来んかったら同じじゃ。どれ、こっちはワシがやるけぇ」
鯛の尾を持ったまま困ったように硬直する弓親の包丁をひょいと取り上げ、
まな板をもう一つ取り出すと、横に並んで鱗をしゃりしゃりと削り取り始めた。
祝飯の主菜の調理を取り上げられたことが不服だったのか、弓親は横で暫く口を尖らせていたが、
何度か促してやると、元の表情に戻り、丁寧な手付きで出汁を作り始めた。
肩を並べて料理する間、出てくるのは他愛も無い話ばかりだった。
自分が抜けた後の十一番隊では、今書類仕事の後任者が居ないとか、
其のおかげで弓親が書類関係の責任者になって、色んな仕事を任されているとか、
…空座になった三席に、一角がそのまま上がったとか。なのに変わらず弓親は五席だとか。
ほんの数日前なのに、目まぐるしい数日のおかげで、自分が居たはずの場所が
既に遠い昔のことのように感じてしまったのが、少しだけ哀しいと思った。
半刻後、綺麗に盛り付けられた食事を夕餉として、卓袱台で向かい合って食べていた。
途中から手伝ったせいもあって、関わった部分は野菜の切り方が歪だったり味付けが大雑把だったりしたが
そこはさして問題ではない。要は、食えればいいのだ。美味いなら其れに越したことは無い。
その点では、今日の弓親の味付けは、十分に及第点だった。
実家に連れて帰ったときなどに幾度か弓親の作った料理を食べたことがあったが、
腕を上げてきたな、と正直に思った。それを伝えれば、恥ずかしそうにはにかんで、嬉しそうに笑った。
好きな男でも出来たか。
そう聞こうかと口を開いたが、其の侭茶を飲み込んで濁した。
率直に出てきた考えなのに、何故か言うのは躊躇われて、眉を顰めた。
無言になった自分を心配そうに見詰める瞳には、喉に小骨が刺さったと誤魔化して、其の場は終わった。
「弓」
食事が終わり、今日は祝い事だから、と片付けに手を出させない弓親に、
料理をしているときと同じように、居間から台所へと背を向けたまま声をかけた。
「何?鉄さん」
食器を洗う水の軽く柔らかな音と一緒に、弾んだ声が帰ってきた。
幾度目か淹れ直された茶で満たされた湯呑を持って、随分遠くを見ているような声で、話す。
「今日はもうえぇけぇ、帰れ。あんまり遅うなっては危ないけんの」
「…別に。平気だよ。寧ろ泊まっていって良いくらい」
「誰が泊めると言うたか。帰れ」
一言一言、自分の言葉が棘を含んでいるのを、確かに感じた。
かけたい言葉を捜せば探す程、心の中にどす黒い何かが渦巻く。
「祝飯をあんだけ作れるんじゃったら、もう嫁に行っても恥ずかしくないの。何ぞ予定でもあるんか?」
「……ね、鉄さん、泊まっていっちゃ…駄目?」
「帰れと言うとるじゃろ。嫁入り前の娘が、男の家に泊まるなんざしとったらいけん」
素直に褒めてやりたいのに、口を付いて出るのはどうにも悪態だった。
嗚呼最悪だ、と。自分の事をそう何よりも思った。
可愛い妹分に惚れた男が出来たなら、其のことを誰よりも祝ってやりたい。
親兄弟の居ない天涯孤独の彼女の兄貴分として、ちゃんとしてやりたい。
其れとは相反するもう一つの気持ちが、言葉を編み紡ぐ。
そうして、口から出るのは苛付いた言の葉ばかりで。顔を見ることも出来ずに、背中を向けたまま。
バシャッ――
水音に、一瞬自分が水を浴びせられたのかと思った。
だが、いつまで待っても冷たい感触はついぞ来ることがない。
何かと思いようやっと振り向けば…其処には、井戸から汲んで溜めている置き水を頭から被った弓親が居た。
ぽた、ぽた、と水滴が髪と肌を伝い、浅黄色の服に染みていく。
かなり乱暴に置き水の入った桶を引っくり返したのだろう。足元には僅かだが水溜りが出来ていた。
尋常ではない其の様子に流石に立ち上がり近寄ると、伸ばした手をぐいと取られた。
「僕、もう、子供じゃないから…あの頃とは違うから……ッ、ちゃんと、解ってるよ…」
ぽた、ぽた。
冷たい水滴に混じって、暖かな水が、弓親の瞳に滲むのが見えた。
取られた手で拭ってやろうとすると、其処ではない、と手を引っ張られ、柔らかな膨らみに添えさせられる。
「…何の冗談じゃ」
「冗談なんか…そんなんじゃ、ないッ……だって…」
弓親の右胸に触れさせるように誘導された掌が、柔らかな膨らみに押し付けられた。
其の感触に一瞬手を引きそうになるが、しっかりと捕まれた手首が、逃げることを許さなかった。
…否。逃げることを許さなかったのは、自分自身、も。
痛いほど高鳴っている心臓の音が掌越しに伝われば、何か、に――ヒビの入る音が、聞こえた。
「…解ってる…鉄さんの傍が心地良くて、それは、妹でも良くて…でも……
……もう、誤魔化しきれ、ない……苦しいほど、好きで、すきで……」
ぎゅ、と。今以上に胸に押し付けるように、手を引き寄せられる。
引き寄せる両手が、小刻みに震えているのを知って、又、ヒビが、入った。
「………壊れてもいいから、言わせて……好き…愛して、抱いて、可笑しくして欲しい、好き…だよ…」
震える声でそう告げて、弓親は顔を上げた。
涙の滲む瞳で浮かべる笑みは、儚く、柔らかで、淑やかで――。
何かに入るヒビと同調していた微かな痛みが、確かなものに、変わって。
気付けば、腕の中に思い切り、抱きしめていた。
「…スマンの、先に全部言わせてしもうて」
卑怯者だ、と自分を笑いながら、涙を零す弓親の其の髪を手櫛で梳いてやる。
初めて抱きしめた身体は、温かくて、しなやかで、柔らかで。
今まで幾度、抱きしめようと思っては伸ばした手で空を切っただろう。
自分以外の誰かを好きになればいいと、幸せを願う偽りを重ねただろう。
余りにも長い間、兄分と妹分として傍に居すぎて、触れることすら躊躇われた。
届かなくて、もどかしくて、誰より傍に居る筈なのに。言ってはならないと決め込んで。
渦巻く何かが嫉妬と知って気付かない振りをしていたのは何時からだっただろうか。
「こげな事は、ワシから先に言うて、そんなら叩かれるんにしても格好が付くっちゅうのに…スマンかった」
思わず喉の奥から笑い声が毀れた。
其れは嘲り笑いでも苦笑でもない、ただ、軽い笑い声、だった。
「……弓…こっち向け」
「ん……」
涙に濡れた睫を瞬かせて、弓親がゆっくりと顔を上げた。
その濡れた頬に手を添えてやり、目をしかと合わせて、言葉を繋げる。
先程までの棘は、今は抜け落ちてもう欠片ほどもない。
今、紡がれる言葉は、何一つ嘘偽りのない、心からの、言の葉。
「…好きじゃ。ワシの傍に居れ。嫁に行くなんざ許さんけぇの」
「……じゃあ、鉄さんのとこにお嫁に行く」
「あぁ、構わん。何じゃったら直ぐにでも来ぃ。ワシはいつでもえぇぞ?」
「本当?……だったら取り合えず、今夜は泊めて?」
額を合わせ、悪戯っぽく笑う瞳を覗き込んで。
その微笑すら愛しくて。腕の中に思い切り抱きしめて、ぬくもりを感じた。
今はヒビ割れて壊れた何かはきっと、いつの間にか作っていた見えない壁。
己を押さえつけて、誤魔化して…それがきっと弓親の幸せだと、勝手に思い込んでいた自分のエゴ。
そんなモノはさっさと踏みつけて、今はただ、このぬくもりを感じていたいと。
「…まぁ、泊まってくのはえぇが…」
「いい、けど?」
「……スマンが、自制もきかんし我慢も出来んけぇの。いきなり泣かしてしまうかも知れん」
「別にいいよ…もう、泣いてるし。泣かされるのだって…鉄さんになら、平気」
言い終わるが早いか、掠めるような口付けを、受けた。
照れて顔を赤くする弓親の頬に手を添え、もう一度…今度はゆっくりと、深く、口付けて。
元より邪魔など何もなかったのだ。
あるとすれば、互いを思うがあまりの、ヤマアラシのジレンマのような、深い深いエゴが。
「三が一番美しいと思う僕に、五の字の意味を教えてくれたのは、貴方だから」
閨の中、弓親は照れた笑みを浮かべつつ、話してくれた。
「”一もニも三も、全て纏めて支えているのが五という字”だ…って…」
何時こうした意味で惚れたのか、と聞き出して。
「…これからも、支えても、いい?…隊は違ってしまったけど…」
自分の隊の三を背負う者と隊長と副隊長を支えると言った上で。
「……それで、鉄さんはいつから…僕のこと、好きになってくれたの?」
恥ずかしそうにしつつ、伺い返す声に、頬に口付けながら、断言した。
「決まっとる。最初っからじゃ」
<所謂ひとつのハッピーエンド>
EMPTY BRAINの澪さまに差し上げた鉄弓(♀)小説です。
(澪さまね、可愛くて色っぽい弓をいっぱい描かれるんです、よ…!大好き!)
十万ヒットのお祝い、ということで、お祝い+澪さま宅の鉄弓絵茶ログを
元ネタに書かせていただいたお話、です!
お祝いだったので切な甘く、ハッピーエンドに向かって書かせていただきましたー。
喜んでいただけて何よりでしたわ…!ちなみにラブラブな鉄弓の基本スタンスはコレです(笑)
PR