< 琥珀 >
…貴方を守りたかった…そう言ったら…貴方は私を笑うかしら…
それでも、守りたいものがあった。貴方を守りたかった。
琥珀のような 気高く 誰にも触れられぬ
”絶対不可侵”の領域を 自らに作り出した
遠い昔の 忘れ形見 置いてきた思い出を
全て貴方自身の中に閉まった 気高い琥珀
呼ばれてきてみた病室に、貴方はいなかった。
鋭利な刃で傷つけられた白い布。ただそれだけだった。
貴方が何処に行ったのか、誰が貴方をそうさせたのか。
何も知る由もなかった。全て置いてけぼりにされた。
あの日傷ついた貴方と別れたままの時で。
”…ゆりか、何故お前は私に付き従う”
いつか、貴方が問いた。まだ霧嶋家で暮らしていた頃。
あの頃から、私は何につけても貴方と一緒に居た。
常に、貴方を自らより優遇して、貴方の後ろに居た。
知らなかった。私は、私と貴方以外の存在をよく知らなかった。
二人きりの家、二人きりの部屋、二人きりの世界。
私と貴方だけでないのは、ただ、”教えられる”時だけ。
人の殺め方、始末の仕方、洗脳の仕方…。
”…私が、貴方の傍に居たいからよ…”
”…不可解な答えだな。私の事を愛しているとでも言うのか?”
”そうかも、知れないわね…と言ったら?”
”……ふん…愚答だな…”
やがて、始めて貴方と私はばらばらになった。
任務を…”忌野一族抹殺”を遂行するために。
それまで知らなかった外の世界に、手放しで出された。
帰る家を失った鳥の雛が、始めて翼で羽ばたくように。
出発する日の朝。
違いの出発の時間がずれた。回りの大人達が危惧し、
わざと時間をずらしたらしい。私達が一緒に脱走しないように。
飛び立つ順は、私が先、貴方が後。
出発の準備が全て終わった後、私は最後の名残にと
こっそり貴方の部屋に行った。貴方は、迎えてくれた。
「…九郎…」
「何だ、ゆりか」
「……お別れ、ね…」
「変なことを言うな。何がお別れだ」
「えっ…」
「…お前にはいずれ私のために働いてもらう。
迎えに行ってやる。お前が望もうが望むまいが」
「……九郎……」
「嫌か?言っておくが、お前に決定権はない」
「ええ…」
「幼い頃から私に付き従ってきたお前だ、どうせ…」
「…?どうしたの?」
「……奇妙だから、嬉しそうな顔で泣くな」
「?私、泣いてる…本当…」
「…どうせお前は、私がいなければ一人で動けもしない。
私が命を下さねば、お前はどうやって生きるというのだ?」
露草を滑り降りた露が、地にその体を下ろすように。
耐える事の出来ない涙が、ただただ目から溢れた。
貴方の少し困ったような顔が何故か懐かしくて、また微笑んだ。
懐かしくて…そう…まだずっと幼い頃。何も知らなかった頃。
”姉上…”
”九郎、どうしたの?”
”…姉上は、九郎のことが嫌いですか?”
”…どうして?どうしてそんなに悲しい事を思うの?”
”……父上も母上も、ちっとも会いに来てくれない…
それはきっと、九郎が嫌いからなのでしょう?”
”九郎…”
”姉上は…姉上は、どうなのですか?”
”…私は、九郎のことが大好きですわよ”
”……姉上……わっ”
”九郎…たとえ私は、皆が貴方のことが嫌いでも
私は…私は九郎のことが大好きでしてよ?”
腕の中に収まってしまうほど、小さかった九郎。
抱きしめた腕の中で、安心したような、照れているような
少し困ったような顔をしていた九郎。
「…ゆりか…」
「はい、何です?」
「……何の脈絡があって私は抱きしめられているんだ?」
「…少し、昔の事を思い出しただけですわ…」
貴方は変わってしまったけれど、私はきっと、もっと変わってしまった。
私は知っている。貴方が昔の思い出を全て、閉じ込めてしまったことを。
誰も触れられない、心の奥底深くで、思い出がそぅっと
恐らく二度と目覚める事のない眠りについてしまったことを。
貴方は知っているのかもしれない。変わってしまった私を。
貴方以外の誰にも、全てをさらけ出せなくなってしまったことを。
貴方以外の皆には、笑顔しか見せなくなってしまったことを。
貴方は貴方の琥珀に、私は私の琥珀に
過去の全てを、閉じ込めてしまった事を。
「九郎」
「…何だ」
「忘れないで下さいましね…私のことを」
「ふん…お前のように使える存在を、そうそう忘れるものか」
「…忘れないで…下さいましね…きっと、ですわよ…」
こらえきれなくて、止めど無く涙が零れた。
私の頬を伝い、九郎の肩に滲み、そのまま布に溶けこんだ。
ふいに、背中に置かれた手のぬくもりに驚いた。
「………姉上…泣かないで…」
「…九郎…」
幼い頃、滅多に泣かなかった私が涙するときに、貴方がそうしてくれたように。
そっと背に腕を回し、優しく抱きしめてくれた。
「…それに…もう時間ですよ?」
「……ええ、そうね……」
かつての貴方のように、優しく語りかけてくれた。
いよいよ涙は留まるところを知らず、次々に流れ落ちた。
”姉上”…そう、どのような立場に居ようが、私は貴方の
たった一人の姉なのだ…。
だから…貴方を守りたかった…貴方は考えもしなかっただろうけど…
そして、二人で居た時は終わりを迎えた。
貴方はすぐに私を迎えに来てくれた。自らの野望を果たすために。
久しく見た貴方を、私がどんな目で見つめていたことか
きっと貴方すら知る由もないけど。
けれど。
空の病室で、私はふと呟いた。
どこかにいる貴方に向かって。
私の琥珀に、貴方の琥珀に向かって。
「…私がもっと強かったなら…貴方を守る事ができたかしら…」
琥珀が溶け出すように、涙が溢れてきた。
琥珀に閉じ込めた、遠い思い出が帰ってきた。
ぽつんと一人置き去りにされた病室で、私の時は止まってしまって。
琥珀の中身は 遠い昔の思い出達
風雨に解けてなくなることを忘れた 古の思い出達
誰もその昔を 解く事などできない 暴く事など出来ない
触れる事すら敵わない 琥珀だけが見る 古の夢
…貴方を守りたかった…そう言ったら…貴方は私を笑うかしら…
それでも…守りたかったものがあった…貴方をこの手で守りたかった…
<END>
↓以下、当時のあとがき。これ書いたのは就職前かな、確か。
■”琥珀”がキーワードとなってぱーっと頭の中に浮かんだ話しです。
2時間ほど使って一気に書き上げました。
■琥珀って、大昔の松脂が固まってできたものですよね。
で、映画「ジュラシック・パーク」の1の恐竜達って、
確かその琥珀の中から取り出したものから作られたんですよね。
(ちょっと記憶曖昧なのですが、多分合ってると…)
でも結局、そこは触れてはいけないものだった、と
ラストで言われてるんですよね(これもちょっと怪しいなぁ…)
”心の奥底に閉じ込めてしまった幼い頃の記憶”
”琥珀自身のみが知る、昔のこと、昔の記憶”
”決して触れる事も覗き見る事も出来ない、不可侵のもの”
…これから”昔の記憶”=”琥珀”として、この話しを作りました。
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